今日という1日を生き切るための「考動」とは?【栗山葉湖のRelease&Change】

おはようございます、
栗山葉湖です。

熊本地震ならびに頻発する余震で
被害を受けていらっしゃる
九州地方の方々には

心よりお見舞い申し上げます。

私を含めこれを読んでくださった方が
ひとりひとり「考動」することを
決めましょう。

考動」とは?
「学び、考え、決断し、誰よりも動ける自分となる」こと。

1、学ぶ
2、考える
3、決断する
4、誰よりも動く

1、「学ぶ」をしないと
知らないことによる想像力の欠如から
大きな失礼をはたらいてしまい
関わった人を傷つけたり
自分も傷ついたりします。

2、「考える」をしないと
すべてが中途半端で終わってしまったり
散らかって効率が悪くなり
後始末の方が大変になることもあります。
やってて途中で心が動かない
にもつながってきます。

3、「決断する」をしないと
全てが後回しになります。
「後手に回る」と言いますが
何の心も入らない空虚な動き
相手のためにも自分のためにもならない
「やらなければよかった」という
結果
をもたらします。

4、「誰よりも動く」をしないと
「考動」にはならない。
「考動」しなければ
あなたが「ほんとうは手に入れたい」と
想っている「得たときの感情」は
永遠に手に入らない。

今は「しないとこうなるよ」という
言い方でお伝えしました。

人のスイッチの入り方は
2つのパターンがあって
1、するとこうなるよ
2、しないとこうなるよ

どちらの伝え方もできるのですが
どちらかというと1、でするのがよいですし
個人に対しては1、をもっともっと
具体的にその人に合わせて提案するのが
先導する人の役割です。

ですが今回は敢えて
2、のしないとこうなるよ
の伝え方で書いてみました。

私はこんな風に想うのです。

私にはもちろん「するとこうなるよ」の
ビジョンも得たい感情もあり
そこから「何としてもそうありたい」という
スイッチで誰よりも動くこともできるけれども

「しないとこうなるよ」でハッと気づく
横着なところもあるのだ
、と。

人は戦争や災害のような「非常時」でも
完璧なスーパーマンではいられません。

人として生きる
命長らえようとする本能や
欲求が引き起こす
願望やワガママを

無理矢理に「ないもの」にして

今の自分が聖人君子であろうとして

そうなれない自分を
無意識に否定する

その「心の無茶」はやめましょう。

今日と言う1日を生き切るために
何を「考動」するか

私も「考動」します。

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